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過去を連れてくる男(3)
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「忍田さん…」
俯きがちにその人の名をいった後、カオルは視線をあげて鋼牙をしっかりと見てからこう言った。
「その杖をついた人は忍田さんっていって、絵本を作っていたときの出版社の担当だった人なの」
告げられた事実から鋼牙は瞬時に記憶を巡らせる。
「鋼牙は覚えていないかな… 5年前、出版社であたしが襲われたときのことを。
あのときの人が忍田さんだよ」
カオルの言葉で鋼牙ははっきりと思い出した。
5年前のあの日。
セディンベイルの行方を追っていた最中(さなか)、
『鋼牙、ホラーの気配だ!』
と言うなり駆け出した彼女を追って鋼牙も走り出した。
『まずいな…』
忌々し気にそう言ったザルバに視線だけ走らせる鋼牙。
『ヤツの近くにどうやらカオルもいるようだ』
「っ!」
鋼牙が思いっきり顔をしかめて、くっきりと眉間に深い皺を刻む。
『鋼牙、出版社だ!
そのまま真っすぐ、2ブロック先を左!』
ザルバの簡潔な指示が飛ぶと、承知したという返事の代わりに地面を蹴る鋼牙の足がグンと加速されたのだった。
「その気もないのに思わせぶりな顔しやがって」
押し殺した声でそう言われたカオルは、
「えっ」
と戸惑いの声をあげた。
「わかってんだろ?
おまえを選んだのは才能があるからじゃない!
若い女だからだ…」
そう言ってギラギラと欲にまみれたまなざしがカオルの至近距離に迫った。
息を飲んで忍田にくぎ付けになったカオルは、次の瞬間、左の胸を忍田に鷲掴みにされ、
「ヤれると思ったからだ」
とストレートな言葉に、
「いやぁぁぁ」
と悲鳴をあげて忍田の手から逃げようともがいた。
「おまえの絵本なんか、誰も喜ばねぇんだよっ!」
そう言われると同時に荒々しく身体を床に投げ出されたカオルは、恐怖に震えながら、じりじりと後ずさる。
イベントの会場で、後ろから「御月先生?」と声を掛けられて振り返ったカオルは、その相手が忍田だと気づいた途端、その記憶が思い出されて、表情を失くした。
忍田は
「やっぱり、そうだ。御月先生ですよね?」
と嬉しそうに笑って近づいてきた。
手には杖。一歩一歩慎重に歩を進めながら、カオルに近すぎない距離で立ち止まった。
「東北出版の忍田です。
覚えていますか? 先生の絵本の担当をさせていただいていたんですが…」
優し気な雰囲気にカオルは少し気を落ち着けさせ、
「え、ええ、もちろん覚えてます。
初めての絵本でしたもの、忘れるわけないです」
と笑顔を張り付けた。
「ああ、よかった。覚えていてもらえて…
あのときはすみませんでした」
「えっ?」
「急に意識を失ってしまい、先生の担当を途中で投げ出すような格好になってしまって…」
「あ、いえ!
あたしのことよりも… 忍田さん、ずっと意識が戻らないって聞いてました。
大丈夫だったんですね?」
忍田はすうっと視線を落として、ふっと笑ってから
「実は、4年近く意識が戻らないままでした」
それを聞いたカオルは痛まし気に表情を曇らせる。
「1年ほど前にようやく意識が戻って…
でも、長い間寝たきりだったので、身体の動かし方を忘れちゃったみたいで、いまだに杖がないと歩くこともできないんですけどね」
そう言って、話の内容とは違って明るくハハハと笑った。
カオルは何かいい返事を返したかったのだが、
「忍田さん…」
と言うしかできない。
少し重い雰囲気になってしまったのを払拭しようと忍田は明るい調子で続ける。
「御月先生、絵本、拝見させていただきました」
「…はい」
「とても素晴らしかったです。
かわいくて… 楽しくて…
最後まで担当させていただきたかったんですが、それでも、あの絵本に少しでも自分が関わることができて、よかったと思ってます」
「…」
カオルはじっと忍田を見つめた。
目の前の忍田は、ホラーに操られていたときとは全然違い、穏やかに笑っていた。
「そう言っていただけて… ありがとうございます」
忍田はうんうんと満足げにうなずいていたが、何かを思い出したのかハッとして視線を揺らしてから上目遣いにカオルを見た。
「実は… 今だから言いますけど。
あの頃、御月先生のこと、ちょっといいなぁと思ってました…」
突然の告白にカオルはドキンとする。
ホラーにつけ入られたのは、まさにそんな忍田の気持ちのせいでもあったから。
「あの! いえ、あたしは… その…」
うろたえるカオルに忍田はにっこりと笑う。
「でも、急に倒れて、4年も意識が戻らなくて… ご縁がなかったんだなぁって思ってます。
その代わりに…」
忍田がそういったところで
「浩司さん…」
と後ろから遠慮がちに声がかかった。
見ると、カオルよりもいくつか上に見える女性が忍田のそばに寄り添った。
「御月先生。妻の美晴です。
美晴、こちら僕が倒れたときに担当していた絵本の作者で画家の御月カオルさんだ」
「まあ、そうなんですか。忍田の妻です」
そう言って美晴と呼ばれた女性が頭を下げたので
「忍田さんには昔お世話になって…」
カオルも頭を下げる。
顔を上げた忍田の妻は
「あなたそろそろ…」
と小さな声で忍田を促すと
「御月先生、すいません。こんな身体なので長時間の外出がまだ難しいんです。
でも、今日は御月先生の作品が見られると思って来てみたんです。
よかった、こうしてお会いできて…
では、先生、今後のご活躍も期待していますね」
「ありがとうございます。
忍田さんもどうかお身体にお気をつけて」
「はい。
これからも頑張れば身体の機能も少しずつ戻るだろうと言われているので…
妻も支えてくれてますからがんばりますよ。
それでは…」
そう言って忍田は妻とともに帰っていった。
杖を手に歩く忍田に、妻は手を貸すことはなかったがしっかりと寄り添って行く背中を、カオルは複雑な心境で見送っていた。
「あのとき… ホラーに操られていたときの忍田さんは人が違ったみたいに本当に怖かったの。
でも、イベントで再会した忍田さんはそんな雰囲気が少しもなくて、すごく優しそうであったかい印象の忍田さんのままで…
ホラーに操られていたってことは、忍田さんにも邪(よこし)まな心はあったんだろうけど、それってすごくちっぽけなものだったんじゃないかって思うのよね。
そんなちっぽけな邪心で忍田さんは4年も人生を無駄にして…
ううん、身体が元通りになるまでこれからも苦しまなければならないことを考えると、あたしの担当になったばかりに申し訳ないなと思っちゃって…
あたしにできることがあればなんだってしてあげなきゃいけないよね、って考えるんだけど、何をどうしたらいいのかわからなくて…」
そう言って俯くカオルの肩を鋼牙はしっかりと抱いた。
カオルは鋼牙に包まれるような感覚に身体の力を抜いてその身を預けた。
彼女の身体の柔らかく心地よい重みを感じながら、鋼牙は言った。
「忍田を巻き込んだのがカオルなのだとしたら、それは俺が巻き込んだも同じだ」
カオルはハッと鋼牙を見上げ、慌てて首を横に振る。
「そんな! 鋼牙!」
鋼牙はカオルの肩を抱く手の力を強め、カオルを見下ろした。
「いいや、違わないよ。
俺に関わらなければもっと違う生き方ができた人はたくさんいる」
(おまえもそうだろう?)
そう思いつつ、そのことには言及せずに、ほんの少し悲し気な表情になる鋼牙。
カオルは目を潤ませて口を開こうとするが、それよりも先に
「でも」
と鋼牙は続ける。
「そういった人たちの人生は、その人それぞれの人生なんだ」
鋼牙はカオルの肩を抱いていた手とは反対の手も彼女の背に回し、腕の中にカオルを閉じ込める。
「俺がこの手でできることは限られている。
だから、俺は自分ができる精一杯をすることしかできない」
鋼牙の身体を伝ってカオルの耳に届く声はズシンと響く。
鋼牙自身、カオルの何倍、何十倍もの人に対してこうした思いを抱えてきたのだろうと思った。
自分のせいだという罪悪感、自分が何もできないという無力さを分かり過ぎるくらい分かっているのだろう。
そして、同時に、カオルは自分の傲慢さを恥ずかしく思った。
忍田さんの人生は忍田さんのものだ。
それなのに、自分のせいでこうなったからといって、自分の手で何とかしてあげたいと思ってしまうなんて…
(今度、忍田さんに会う機会があったら聞いてみよう。
何か自分にお手伝いできることはありますか、って…)
そう思い至ったカオルは、自分の手を鋼牙の背に回した。
そのことにハッとした鋼牙が、カオルの身体を抱く腕を緩めて見下ろしたので、カオルは顔を上げた。
「鋼牙。
あたしはあなたに会えてよかったよ」
そう言ってから、急に恥ずかしくなって視線を泳がせる。
「き、きっと、あたし以外にもそう思う人はちゃんといると思うからね」
そう言って顔を見られたくないので、ぎゅうっと鋼牙に抱き着き、彼の胸に顔をうずめる。
すると、くすっと鋼牙が笑ったように思った。
そして、
「そうだといいがな…」
と言って、カオルの髪をすくように優しく撫でたのだった。
fin
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自分に関わったばっかりにその人が不幸になる。
なんて悲しいことでしょう。
忍田さん、根っからの悪い人に見えなかったのに…
書いてる途中で、実は忍田さん既婚者だったんだろうか? とDVDを視聴しなおして確認してみましたが、結婚指輪はありませんでした。
それにほっとしたものの、いや、でも、わざわざ外してまでカオルちゃんを? そんな! まさか? と思ってみたり…
(妄想はそんなとこが楽しいですね)
忍田さんは4年という時間(筋力や運動機能といったものも)を失くしてしまいましたが、それと引き換えに優しい奥さんを得られていて、これからの未来に対しても希望を失わず前に進もうとしている… そうだったらいいな、という妄想でした。
ホラーに付け入れられる欲望があったとしても、またやり直すことができるといいですよね!
コメント
selfish と申します。
無愛想な魔戒騎士や天真爛漫な女流画家だけにとどまらず、大好きな登場人物たちの日常を勝手気ままに妄想しています。
そんな妄想生活(?)も9年目を迎えましたが、まだ飽きていない模様…
無愛想な魔戒騎士や天真爛漫な女流画家だけにとどまらず、大好きな登場人物たちの日常を勝手気ままに妄想しています。
そんな妄想生活(?)も9年目を迎えましたが、まだ飽きていない模様…
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